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最高裁判所第一小法廷 昭和23年(オ)97号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差戻す。

理由

上告代理人弁護士皆川健夫上告理由第一点について。

原判決は、その理由において、先ず上告人たる原告主張の住所を甲府市に移したとの事実に関する判示証拠は原告主張の趣旨においては当裁判所の採用し得ないところであり、甲第四号証の一乃至十の判示記載だけでは未だこれを認定するに足りない、その他原告の各主張を肯認するに足る証拠はないと判示し、次に、却つて原判示(イ)乃至(ヌ)の認定事実に徴すれば、住所移転の事実並びに意思なかりしものと認定するを相当とする旨判示したものである。よつて(イ)乃至(ヌ)の認定理由就中所論(一)(原判決(ニ)及(ヘ))と所論(二)との間に矛盾、齟齬ありや否やを審究するに、原判決は、その(イ)において、「原告は、昭和二〇年四月空襲の激化に伴い甲府市より判示竜岡村へ家族と共に疎開転入し同村若尾新田二七二番地に住所を定めて居住したこと」を認定し、(ロ)(ハ)において、終戦後間もなく荻野豊平等が甲陽振興株式会社の設立を計画するに当り原告は、甲府市内窪田耕平方にあつた右会社の創立事務所に勤め昭和二〇年一一月一日右会社成立後は、その取締役となつて甲府市橘町一番地の会社事務所において執務することゝなり、何れも竜岡村の原告住所より韮崎駅まで徒歩約三〇分、同駅より甲府駅まで汽車にて約二五分を以て通勤していたことを認定し、次に、(ニ)(ホ)(ト)において、会社事務が極めて繁忙であつたため原告は、昭和二一年八月二八日右会社の事務所に隣接して設けられた社宅の一室(八畳の間)に単身布団、寝巻、飯茶碗、茶道具だけを携えて引き移り起居するに至つたこと、右移転後も相変らず甲府、韮崎駅間の定期乗車劵を購入し一週二、三回家族の許に至り(但し帰らない週もあつた)その都度殆んど宿泊していたこと、並びに、その後右会社の社宅に原告が使用する他の一室と炊事場が増設せられたので昭和二一年一二月二五日原告の家族全部が荷物を取り纏め右社宅に引移りその際原告初め家族全部の甲府市への転入手続を済したことを認定している。

かように元来甲府市のような都市に居住していた者が空襲の激化に伴い徒歩及び汽車約一時間の地域に疎開転出した場合には、通常は已むを得ず一時腰掛的に住所を移転したに過ぎないものであるから特別の事情のない限り終戦後は帰還を希求し熱望するのが世態人情に適合するものと認めるを相当とする。然るに前述のごとく原告は、判示の如く終戦後甲府市にある甲陽振興株式会社の設立に関与し、昭和二〇年一一月一日同会社成立後はその取締役となつて執務し、昭和二一年八月二八日同会社社宅に寝食の器具を運び単独引き移り起居し、その後同年一二月二五日家族を呼寄せ完全に甲府市へ転入手続を為し、その間原告は一週二、三回家族の許に至り宿泊したに過ぎなかつたことは原判決の認定確定したところである。果して然らば上告人は終戦後再び甲府市を職業生活の中心と定め、ついで寝食の器具を移して甲府市に起居するに至つたものであるから、特別の事情のない限り、右昭和二一年八月二八日単独移転を以て生活の本拠を甲府市に移す意思で甲府市に帰還しその住所を復旧したものと認めるをむしろ経験法則上当然とすべきである。原判決は、住所移転を認めない理由として上告人が定期劵を購入所持していたこと、甲府市に移入手続をせず配給を受けない簡単な生活をしていたこと、妻が甲府市を訪ねなかつたこと、選挙人名簿又は補充名簿等に関する事実を挙げているけれども、かような事実は未だもつて前記特別の事情と認め難い。従つて原判決が疎開の事実を認めながら是認し得べき特別の事情を挙示することなく、判示単独移転を以て原告の住所復旧の事実並びに意思を否定したのは経験法則に違反して事実を認めたもので理由において齟齬若しくは不備あるものといわねばならぬ。論旨は結局その理由があつて原判決は破棄を免れない。

よつて爾余の論旨に対する判断を省略し、民訴法第四〇七条第一項により主文のとおり判決する。

この判決は裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 斉藤悠輔 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 真野毅 裁判官 岩松三郎)

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